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電車型式のことはよくわからないのですが、この頃東大和市に住んでいて当時高架前で青梅橋という駅名でした。この音の電車が小川駅まで畑の真ん中単線一直線爆音立てて走っていたのを思い出します。今ではすっかりベットタウンとなり想像もつかないですね!
コメントありがとうございます。本当に拝島線の変貌ぶりはビックリします。今では「拝島ライナー」も走って新宿が近くなりましたね。
貴重な音源によりUP感謝します。ありがとうございます😊✨️
コメントありがとうございます。ビニールみたいなカセットテープが50年後に音が出るとは思ってもいませんでした。今聞くと、釣りかけモーター、AK3形コンプレッサーの音に当時を思い出します。
西武クモハ371系って、確か栗原電鉄に譲渡された車両。
コメントありがとうございます。この多摩湖線で活躍していたクモハ375,376が栗原電鉄へ行っていますね。栗原電鉄時代は見ることが出来なくて残念な思いです。
懐かしい音声をありがとうございます。私も同じ1974年に萩山駅の同じ場所から371系を撮影しました。クモハ371形は片隅式運転台なので、このお写真では子供が最前部まで入っています。クハ1411形同様に客室から入れないようにパイプがありましたが、子供はくぐって入ってしまったのでしょうね。女の子の居るあたりにはハンドブレーキのハンドルがあるのでいたずらしないか気になります。当時萩山に親戚が居たのでたまに行く程度でしたが、夜萩山駅南口から青梅街道4号踏切を渡って小平霊園方面を車で通ると、今は西武鉄道の資材置き場になっているあたり(コインパーキングの隣り付近)に留置線があって、371系がパンタを降ろして休んでいました。通学などで多摩湖線を利用するようになったのはこのクモハ371形がクモハ351形に置き換わってから(サハはそのまま)ですが、この音声を聞いていると多摩湖線の景色が浮かんできました。この時は本町信号所での交換はなかったみたいですが、交換する時は2本の列車は一旦停止してから動き出していました。モーター音やAK-3CPの音も懐かしいです。この車掌さんの声も聞き覚えがあり、お顔もなんとなく覚えています。当時は車内放送用のマイクが乗務員室の柱に直接付いていて、車掌さんが放送する時はマイクにぶつけないように口とマイクの間に手を置いて耳元で話すような格好をしていました。351の更新後から他車と同じくハンドマイクになりました。懐かしくていろいろ書いてしまって失礼いたしました。高評価と登録させていただきました。
コメントありがとうございます。また、チャンネル登録、高評価もありがとうございます。子どもたちは最前部まで行っても叱られなかったのですね。今では考えられませんね。交換風景ですが、確かに列車は止まるので、この時は交換しなかったんだと思います。西武はずいぶん後までマイクが柱についていましたね。車掌さんが放送する時をじっと見ていた記憶があります。車掌さんを覚えておられるとは凄いです。もう50年経ってしまいましたが。。。
遥か昔日、汽笛一声、井荻駅を出発する371系を眺めておりました。従えるは最新の801系。もの凄いアンバランスな編成でしたね。上石神井車輛管理所、一番端っこの留置線に2輛のクモハ、1輛のクハが長年留置されておりましたが、譲渡されたのか、解体されたのか………。
371と801系が連結した列車とは凄いですね!上石神井には311が長らくおいてありました。確か張り上げ屋根の車両もあったかと。いつの間にかいなくなってしまいました。
AK3型は、最近まで2000系の一部の2両編成に搭載されていたので、むしろ新しく感じちゃいました。
搭載されていましたね。精悍な2000系にごろっとした音のAK3のアンバランスが楽しかったです。
吊り掛けは、駆動方式の事なので、聴こえる音は、いわゆるギヤ鳴りです。電気モーター自体の音ではないですよ。まあ、モーターが共振しているとは思いますが、吊り掛け駆動は、モーターとファイナルギヤを直接繋いでいる関係で、ギヤ鳴りが大きいのが特徴です。
コメントありがとうございます。そうでしたね!モーター自体の音ではなく駆動方式の音ですね。当時は大きな音がうるさいとか思いませんでしたが、今聞くと凄いですね。
サハ車。丸妻、ガラベン。モハ車グロベン。切妻だったかも?の凸凹編成。これがどこかの地方鉄で走ってた動画見たよ。
コメントありがとうございます。大井川鉄道にはクモハ371形が譲渡されていますが、どちらか興味がわきますね。いずれにしても遠い昔の話になってしまいました。
懐かしい音です。昭和49年頃のカセットレコーダーって結構大きかった記憶が。バッテリーも単1乾電池4本くらい使って重かったし。
コメントありがとうございます。ラジカセは大きかったですね。電池も大型をいくつも入れていて重かった。でも、持ち出して録音していて良かったです。もっとほかの車両も録っていればなお良かったかなと。「音鉄」ではなかったので。。。
ショルダータイプのデンスケですか?
コメントありがとうございます。普通のモノラルのラジカセです。デンスケは高価でしたね。
私の18才の時でも古い電車です。平屋建ての駅舎にコレ居ましたよね。当時でも運転室がすごく小さかった(運転室の脇に鉄棒の策が有った?)思い出です。西武の駅員さんの制服もこれですよ。併せてカセットテープとデッキの時代でした。
コメントありがとうございます。運転席は本当に小さかったですね。そうとう窮屈だったのではないかと思います。カセットテープ、そしてデッキ!凝縮されたメカでわくわくしましたね。
これが多摩川線にも居た気がする。当時は是政線だったと記憶。
コメントありがとうございます。多摩川線にもいたと思います。こちらは行っていなくて残念な思いです。。。
この区間では、最後の“赤電”351系が引退した1990年まで、17m車の3両編成が使用されていましたが、驚いたのは、それまでの国分寺駅のホームです。当時、同駅の多摩湖線ホームの有効長は17m車3両分で、しかも改札側はすぐに車止め、一橋学園側も車両の先端がごく一部ホームから外れ、いけないことですが、踏切から停車中の車両に触れることもできてしまう状態でした。ということは、自動空気ブレーキの車両をこのようなホームに停車させなければならず、しかも朝ラッシュ時や悪天候の日にもそれを行わなければならないわけで、それまでこの区間を担当していた運転士さんの“職人技”には、頭が下がる思いです。
コメントありがとうございます。反応の遅いブレーキで、運転は大変だったと思います。西武新宿線では、上井草駅が前後踏切で、8両編成の列車はピタリと止まらないとホームからはみ出してしまいます。いずれ高架になるので、今しか見れない光景になりますね。
1969年あたりに朝のラッシュ時、この車両池袋に乗り入れていましたか?とすれば何度か江古田から池袋間で乗車した事があります。池袋よりの運転席の真横で前方を見られた事が記憶に残っているもので。
コメントありがとうございます。この頃のことは分かりませんが、似た車両でクハ1411は行っていたかと思います。クモハ371で池袋まで行かれていたら貴重なご経験ですね。
大井川で昔聞いた様な響きだなと思っていたら、大井川にやってきた車両そのものだったとは。
コメントありがとうございます。大井川に行ってましたね。随分活躍していたような気がします。
まんま国鉄と同じ音
コメントありがとうございます。国鉄!ですね。夏などは冷房がないから窓全開で、とにかく音が凄かった。車内放送など聞こえませんでしたね。
@@cappaahiru 焼け電ボディーに旧省電パーツ使ってた?
サハ1311はそのようですね。371は実際使用していたのを譲り受けたようですから、焼失国電ではないのかもしれません。
電車型式のことはよくわからないのですが、この頃東大和市に住んでいて当時高架前で青梅橋という駅名でした。この音の電車が小川駅まで畑の真ん中単線
一直線爆音立てて走っていたのを思い出します。今ではすっかりベットタウンとなり想像もつかないですね!
コメントありがとうございます。
本当に拝島線の変貌ぶりはビックリします。
今では「拝島ライナー」も走って新宿が近くなりましたね。
貴重な音源によりUP感謝します。ありがとうございます😊✨️
コメントありがとうございます。
ビニールみたいなカセットテープが50年後に音が出るとは思ってもいませんでした。
今聞くと、釣りかけモーター、AK3形コンプレッサーの音に当時を思い出します。
西武クモハ371系って、確か栗原電鉄に譲渡された車両。
コメントありがとうございます。
この多摩湖線で活躍していたクモハ375,376が栗原電鉄へ行っていますね。
栗原電鉄時代は見ることが出来なくて残念な思いです。
懐かしい音声をありがとうございます。私も同じ1974年に萩山駅の同じ場所から371系を撮影しました。クモハ371形は片隅式運転台なので、このお写真では子供が最前部まで入っています。クハ1411形同様に客室から入れないようにパイプがありましたが、子供はくぐって入ってしまったのでしょうね。女の子の居るあたりにはハンドブレーキのハンドルがあるのでいたずらしないか気になります。当時萩山に親戚が居たのでたまに行く程度でしたが、夜萩山駅南口から青梅街道4号踏切を渡って小平霊園方面を車で通ると、今は西武鉄道の資材置き場になっているあたり(コインパーキングの隣り付近)に留置線があって、371系がパンタを降ろして休んでいました。通学などで多摩湖線を利用するようになったのはこのクモハ371形がクモハ351形に置き換わってから(サハはそのまま)ですが、この音声を聞いていると多摩湖線の景色が浮かんできました。この時は本町信号所での交換はなかったみたいですが、交換する時は2本の列車は一旦停止してから動き出していました。モーター音やAK-3CPの音も懐かしいです。この車掌さんの声も聞き覚えがあり、お顔もなんとなく覚えています。当時は車内放送用のマイクが乗務員室の柱に直接付いていて、車掌さんが放送する時はマイクにぶつけないように口とマイクの間に手を置いて耳元で話すような格好をしていました。351の更新後から他車と同じくハンドマイクになりました。懐かしくていろいろ書いてしまって失礼いたしました。高評価と登録させていただきました。
コメントありがとうございます。
また、チャンネル登録、高評価もありがとうございます。
子どもたちは最前部まで行っても叱られなかったのですね。
今では考えられませんね。
交換風景ですが、確かに列車は止まるので、この時は交換しなかったんだと思います。
西武はずいぶん後までマイクが柱についていましたね。
車掌さんが放送する時をじっと見ていた記憶があります。
車掌さんを覚えておられるとは凄いです。
もう50年経ってしまいましたが。。。
遥か昔日、汽笛一声、井荻駅を出発する371系を眺めておりました。従えるは最新の801系。もの凄いアンバランスな編成でしたね。
上石神井車輛管理所、一番端っこの留置線に2輛のクモハ、1輛のクハが長年留置されておりましたが、譲渡されたのか、解体されたのか………。
371と801系が連結した列車とは凄いですね!
上石神井には311が長らくおいてありました。
確か張り上げ屋根の車両もあったかと。
いつの間にかいなくなってしまいました。
AK3型は、最近まで2000系の一部の2両編成に搭載されていたので、むしろ新しく感じちゃいました。
搭載されていましたね。
精悍な2000系にごろっとした音のAK3のアンバランスが楽しかったです。
吊り掛けは、駆動方式の事なので、聴こえる音は、いわゆるギヤ鳴りです。電気モーター自体の音ではないですよ。
まあ、モーターが共振しているとは思いますが、吊り掛け駆動は、モーターとファイナルギヤを直接繋いでいる関係で、ギヤ鳴りが大きいのが特徴です。
コメントありがとうございます。
そうでしたね!
モーター自体の音ではなく駆動方式の音ですね。
当時は大きな音がうるさいとか思いませんでしたが、今聞くと凄いですね。
サハ車。丸妻、ガラベン。モハ車グロベン。切妻だったかも?の凸凹編成。
これがどこかの地方鉄で走ってた動画見たよ。
コメントありがとうございます。
大井川鉄道にはクモハ371形が譲渡されていますが、どちらか興味がわきますね。
いずれにしても遠い昔の話になってしまいました。
懐かしい音です。
昭和49年頃のカセットレコーダーって結構大きかった記憶が。バッテリーも単1乾電池4本くらい使って重かったし。
コメントありがとうございます。
ラジカセは大きかったですね。
電池も大型をいくつも入れていて重かった。
でも、持ち出して録音していて良かったです。
もっとほかの車両も録っていればなお良かったかなと。
「音鉄」ではなかったので。。。
ショルダータイプのデンスケですか?
コメントありがとうございます。
普通のモノラルのラジカセです。
デンスケは高価でしたね。
私の18才の時でも古い電車です。平屋建ての駅舎にコレ居ましたよね。当時でも運転室がすごく小さかった(運転室の脇に鉄棒の策が有った?)思い出です。西武の駅員さんの制服もこれですよ。併せてカセットテープとデッキの時代でした。
コメントありがとうございます。
運転席は本当に小さかったですね。
そうとう窮屈だったのではないかと思います。
カセットテープ、そしてデッキ!
凝縮されたメカでわくわくしましたね。
これが多摩川線にも居た気がする。当時は是政線だったと記憶。
コメントありがとうございます。
多摩川線にもいたと思います。
こちらは行っていなくて残念な思いです。。。
この区間では、最後の“赤電”351系が引退した1990年まで、17m車の3両編成が使用されていましたが、驚いたのは、それまでの国分寺駅のホームです。
当時、同駅の多摩湖線ホームの有効長は17m車3両分で、しかも改札側はすぐに車止め、一橋学園側も車両の先端がごく一部ホームから外れ、いけないことですが、踏切から停車中の車両に触れることもできてしまう状態でした。
ということは、自動空気ブレーキの車両をこのようなホームに停車させなければならず、しかも朝ラッシュ時や悪天候の日にもそれを行わなければならないわけで、それまでこの区間を担当していた運転士さんの“職人技”には、頭が下がる思いです。
コメントありがとうございます。
反応の遅いブレーキで、運転は大変だったと思います。
西武新宿線では、上井草駅が前後踏切で、8両編成の列車はピタリと止まらないとホームからはみ出してしまいます。
いずれ高架になるので、今しか見れない光景になりますね。
1969年あたりに朝のラッシュ時、この車両池袋に乗り入れていましたか?
とすれば何度か江古田から池袋間で乗車した事があります。
池袋よりの運転席の真横で前方を見られた事が記憶に残っているもので。
コメントありがとうございます。
この頃のことは分かりませんが、似た車両でクハ1411は行っていたかと思います。
クモハ371で池袋まで行かれていたら貴重なご経験ですね。
大井川で昔聞いた様な響きだなと思っていたら、大井川にやってきた車両そのものだったとは。
コメントありがとうございます。
大井川に行ってましたね。
随分活躍していたような気がします。
まんま国鉄と同じ音
コメントありがとうございます。
国鉄!ですね。
夏などは冷房がないから窓全開で、とにかく音が凄かった。
車内放送など聞こえませんでしたね。
@@cappaahiru 焼け電ボディーに旧省電パーツ使ってた?
サハ1311はそのようですね。
371は実際使用していたのを譲り受けたようですから、焼失国電ではないのかもしれません。